
所沢市シルバー人材センター・営農事業の現場を訪ねて
所沢市内の一角にある公園の駐輪場に、この日も朝採れの野菜がずらりと並びます。
ここは、所沢市シルバー人材センターの営農事業のメンバーが、自分たちで栽培・収穫した野菜や切り花を販売する直売所です。その日の朝に収穫した新鮮な野菜を目当てに、常連さんが開店前から待機するほどの人気。営農事業メンバーは、到着するとすぐに手際よく陳列や会計の準備を進めていきます。

この営農事業では、野菜の栽培だけでなく小麦の栽培も行っていて、収穫した小麦を使った「うどん」をはじめとする加工品の商品開発や販売など、多彩な活動を展開しています。
2013年に始まった“0からの挑戦”

営農事業が動き出したのは2013年のことです。所沢市農業振興課や農業委員会事務局、県川越農林振興センターなどとの協議を経て、シルバー人材センターが農地を借り受け、8名の農業経験者の参加でスタートしました。その後、農業経験者だけでなく農作業に興味のある未経験の会員も参加するようになり、現在は29名の参加者を抱えるまでに成長しました。未経験者でも安心して取り組めるよう、初心者向けに研修制度を導入しているそうです。
活動日は週4日(8時〜12時)の農作業とイベントなどの開催日。秋にはイベント出店が多く、地域との交流が活発になるとのことです。


職員の越阪部さんは、「人や地域との縁で事業が成り立っていると強く感じています」と話します。野菜の販売場所は市有地を有償で借り、製粉や加工は市内外の企業・団体と連携しています。また、うどんのパッケージは、県立芸術総合高校の生徒さんがデザインを担当してくれたといいます。そのほかにも種苗会社や農機具の販売店など、多くの専門業者からも技術的なサポートを受けるなど、多くの人の協力が営農事業を支えています。
小麦から広がる新たな取り組み

小麦は、2023年に“世界農業遺産”に認定された中富地区で栽培されています。営農事業では、この地域の文化を象徴する作物である小麦を、うどんなどの製品に加工し、イベントや直売所で販売しています。
加工には活動に賛同した企業や団体が協力しています。製粉は川越市内の製粉所、乾麺はときがわ町の製麺所、半生麺は川越市の授産施設に依頼しています。小麦粉の計量やふるいがけ、パッケージへのシール貼りなどは女性会員(シルボンヌ)が中心になって担当しているそうです。


最近販売が始まった「所沢の小麦せんべい(通称:とこ麦せん)」は、新聞に掲載されるなど発売直後から話題になっています。製造を依頼した青梅市のせんべいメーカーも「試行錯誤が楽しい」と協力的で、現在は第2弾の製造に向けて試作が始まっているとのこと。今後は薄力粉用品種「きたほなみ」の栽培や、市内の地ビールメーカーの依頼による陸稲(おかぼ)栽培にも挑戦する予定だそうで、営農事業のさらなる飛躍が期待されます。
とても順調に見える営農事業ですが、製造してくれる業者を探したり行政に協力を働きかけるなど、これまで相当のご苦労があったはず。それでも担当職員の越阪部さんは「毎日、『あれはどうやろう?』と考えるのが楽しいんです」と笑顔で話します。
畑にくれば仲間がいる——酒井さんの3年

酒井さんは、これまでシルバー人材センターで給食配送や遊園地の清掃などの仕事を経験してきました。3年前、就業相談会で話を聞いたのをきっかけに営農事業への参加を決めました。
「会社勤めの頃は“早く週末にならないかな”と思っていたんです。でもいざ退職すると、どこにも行く必要がない。働かなくても食べていくことはできますけど、家にいるだけじゃつまらないでしょう?」
営農事業の魅力は、これまでの仕事よりも“自由”であることだと言います。畑仕事の合間の休憩時間には、仲間とお茶を飲みながら、他愛のない話をする時間もある——そうしたゆるやかな時間が心地よいそうです。


「家にいたらテレビを見るくらいしかやることがないんです。でもここに来れば、誰かしらいて話ができる。次の日が仕事だと思うと夜更かしもしないし、自然と早起きもできます。それも健康にいいんじゃないかなと思います」
「これからも続けていきたいですね」と、柔らかな笑顔で話してくれました。
充実した暮らしの中で——仲さんの“販売する喜び”

入会して2ヶ月の仲さんは、福祉行政に携わっていた専門家。農作業に関しても、職場の友人らと自産自消の野菜づくりを20年以上も続けているというベテランです。
「次は自分で育てた野菜を販売してみたい」と思い、営農事業に参加を決意。直売所では、お客さんとの会話が何よりの楽しみだといいます。
「常連の方が多くて、販売時間前から待ってくださることもあります。調理方法を教え合ったり、並べるのを手伝ってくださったり、本当にありがたいですね」
農薬を使わずに育てた野菜は、赤ちゃん連れの方から「離乳食に使いたい」と声をかけられることもあり、やりがいにつながっています。


営農事業への参加は週2〜3日ですが、仲間との野菜づくりも週2日で継続し、ほかにも友人との映画やバードウォッチング、お孫さんのお世話、地域の委員のお仕事などを掛け持ちしている多忙な仲さん。「1週間が7日では足りないくらいよ」と、スケジュールがびっしり書かれたスマホのカレンダーを見せてくれました。
ご家庭では、ご主人が「いつも旬の野菜が食べられて嬉しい」と喜んでくれるそうです。また野菜好きのお孫さんが、仲さんの育てた野菜をよく食べてくれるのも励みになっています。
一方で、娘さんからは「動きすぎて体調を崩さないように」と心配されることも。それでも仲さんは「忙しいからこそ健康でいられるのかもしれませんね」と話します。毎日がやりたいことで埋め尽くされている——それが仲さんの元気の源になっているようです。
“好き”も“健康”も“地域貢献”も——多様な想いが交わる現場
営農事業には、地域からの期待も大きく寄せられています。市内の農業放棄地の管理、高齢農家からの作業依頼、買い物が困難な地域での野菜販売など、年を追うごとに依頼が多くなっているといいます。
参加者の目的はさまざまです。農作業そのものにやりがいを感じる人もいれば、仲間づくりや健康維持を求めて参加する人もいます。そのどちらも尊重しながら、地域の期待にも応えていく——多くのメンバーを抱える中で、活動のバランスをどう保つかが今後の課題だと越阪部さんは話します。
一方で、「個人で農業を始めるのは難しいけれど、ここなら研修があり、先輩に教わりながら進められる。販売を通して地域の方に喜んでもらえる」と語り、気軽に参加できる安心感や楽しさこそが、営農事業の大きな魅力だと強調します。

直売の場から見える、これからの未来

取材を終える頃には、並んでいた野菜はほとんど売り切れていました。会員のみなさんは手際よく片付けを進めながら、楽しそうに声を掛け合っています。
営農事業には、土に触れる時間だけでなく、人と関わりながら自分のペースで働ける心地よさがあるようです。陸稲の栽培や薄力粉の生産など、新しい挑戦もすでに始まっています。
畑での作業と直売の場でのコミュニケーション、そして活動を支えてくれる企業や地域のつながりによって、営農事業の活動はこれからも着実に広がっていくでしょう。
シルボンヌK子














